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タレント知事

タレントが知事になると、それをマスコミが取材して、たいそう政治が身近に感じられるようになる。もはや、政治のプロなどより、素人であった者が、政治の世界に登場すると、もっと、政治が良く見えるようになるのであろう。
政治という、得体の知れない者が、良く見えるということは、国民の長年の願いであった。
タレント議員が、皆良いということではない。しかし、政治を身近にするということでは、実に良い。ただし、長野県のように、逆戻りするケースもあるということである。
解りやすく語る政治が、今、最も望まれている。

ある政党の、政治講演会に行った。満席であるが、驚いたのは、若者の姿が全くといって無い。皆々、熟年と高齢者である。いや、中には、一人二人といたのかもしれないが、それらが見えぬ程、高齢者が多い。
熟年から高齢者は、政治の問題が、即生活に関わるからだろう。

今、政治家になっている者は、若い頃から、政治に感心を持ち、何らかの運動をしていた人が多い。特に、50代60代の年齢である。しかし、その多くは、与党であった自民党打倒に力を向けた。そして、日本の歴史を知らない者が多い。
歴史を知らないというのは、正しく知らないということである。

この年代は、反日日本人、多くは、日教組に代表される教育を受けたのであるから、歴史を知るはずがない。
旧社会党、共産党等々、ほとんどが正しく歴史を知らない。知ろうとしなかった。つまり、その前に、観念が先にあったからである。虚心に歴史を学ぶことが出来なかった者たちであり、勿論、今も続いている。共産や社会主義というものが、いかに愚かしいものであるかを、知らないのであるから、話にならない。古代社会が、原始共産の形であったという者にも解らない。

人間の社会は、どんなに原始的であろうが、権威というものを有していた。それを知らない。権威という言葉が嫌なら、自然崇拝である。自然が、権威であることを知らないのである。
人間は、すべからく、自然から、すべてのことを学んだということを知らない。文字から学ぶものは、知れているのである。

彼らは、桃源郷を、日本以外にあると信じた者たちの歴史観を学んだのである。
事実さえも、観念により、解釈するという仰天を成した。
私は言う。彼らは、滅びるのである。
それは、私が許さないのではなく、祖先が許さないのである。勿論、それさえも、理解出来ないであろう。日本人は、祖先に続く者であるということが、日本人の日本人たる所以であり、人間を超越したものや、思想等々に、続く者ではない。

さて、政治である。素人が、政治の舞台に出なければならなくなった時代であることを、認めなければならない。
政治のプロは、もはや、政治を遂行することが出来なくなったのである。
これは、進化したのである。
つまり、既成の政治が、終わったことを告げる。

55年体制が崩れた時、驚きを持って、云々していたが、そんなものではない。
180度の、転換である。
私は言う。本当に、日本のことを考えるならば、全員が、与党になることである。
政策実現は、与党になった方が、やりやすいのである。何故、与党にならないのか、不思議でしょうがない。
お解りであろうか、私の言うことを。
与党、野党策略は、誰のせいであろう。
万年野党の社会党が政党として活動できたということを、おかしいと思うものがいなかったのが、不思議でしょうがない。
つまり、政治家になれば、食っていけるということである。

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2007年02月20日 22:18に投稿されたエントリーのページです。

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