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一年を過ぎて

藤岡の死去から一年を過ぎて、明らかに見えるものがある。まず、噂である。これが消えた。そして、人の本当の心である。誰が本物かを観ることが出来た。そして私は、藤岡の死についてまた、冷静に書くことが出来る。
人は、人の死によって、人が確定するものだということを知らな過ぎる。
生きている人間は確定しないが、死によって人が確定する。
さて、いよいよこれからが本題である。憶測、想像から脱却して、藤岡の死によって観えたものが、私にも確定した。
多くの人が去った。藤岡も、お見通しであろう。自分にとって本当だった人が、見えたはずである。風にたなびく葦のように人の心は移ろう。
自分をも信じられない者が、何を成すことが出来るだろうか。
私は、一年間、一月三回から四回と藤岡の追悼コンサートを開催した。人は成したことによってしか、確定しない。口では、何とでも言える。私は、その人が成したことしか信じない。
人は行為によってしか、確定しない。作家を目指すものは、書くことで、それに向かうことが可能である。単に、口で成りたいものを言っても詮無いこと。
その人の行為を観て、その人が解る。それ以外のものを信じても駄目である。
さて言う。これから私は、藤岡の死について、書く、そして話す。それだけの権利があることが私の行為によって裏付けられたのである。
今、日本の音楽家で、その亡き後、一年間を追悼されるだろうか。藤岡は、追悼された。
私によってである。藤岡は死によって、私は、藤岡の追悼コンサートによって、確定した。よって、私は、これから藤岡の死について書き、そして話す。
私を批判する者は、その言葉によって自分を批判しているということである。それが解れば幸いである。
アホ馬鹿間抜けが多い世の中だから、私は言う。私に敵う者がいるか。逃げることは上手だが、真に自分と対座することが出来ない者が、何をか言う。

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2006年11月10日 14:09に投稿されたエントリーのページです。

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