395日祭
今月、命の日の395日祭は、コンサート開催により、26日木曜日になります。
秋です。
「ものを思わぬ人にさへ心を作る秋の初風」と西行は歌いました。
心を作るという感性は、日本人のものです。
秋風により心が生まれる。四季の移り変わりにある、事の真相です。
秋もまた、人それぞれ、百人百様です。それを語り合う相手を求めます。
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今月、命の日の395日祭は、コンサート開催により、26日木曜日になります。
秋です。
「ものを思わぬ人にさへ心を作る秋の初風」と西行は歌いました。
心を作るという感性は、日本人のものです。
秋風により心が生まれる。四季の移り変わりにある、事の真相です。
秋もまた、人それぞれ、百人百様です。それを語り合う相手を求めます。
心の音楽会、及び、歌祭りの出演者を募集します。
仔細は、ホームページに書いてあります。
心の音楽会は、ジャンルを問いません。どなたでも参加できます。
11月11日、土曜日辻あやかピアノリサイタル、及び、藤岡宣男が歌った日本の歌を歌うの、チケット販売を開始します。
辻あやかは、満席が予想されます。早めに、お申し込み下さい。
当日、受付取り置き予約も可能です。
12月4日月曜日のコンサートでは、第二部を藤岡の未公開録音を公開します。ただ今、調整中です。ご期待ください。
なお、来年度のコンサートではゲスト出演として、藤岡の歌を流します。また、藤岡のリサイタルも開催します。
1月、東京、三月、横浜です。
コンサート情報を参照ください。
リハーサル、本番等に、招待します。
学習障害の子供たち、虐待を受けた子供たち等、養護施設等、
また、高齢者施設、認知症グループホーム等の、普段音楽に接することの少ない皆様をご招待します。
札幌では、リハーサルを障害児の子供たちに開放しました。
藤岡も快く受けて、リハーサルを公開し、大変良い成果を上げました。
動いていた子供たちも、最後は、藤岡の回りに集う形になり、芸の力に、驚いたものでした。
各施設の方々、コンサート情報を参照して、申し込んでください。
こちらのコンサートは、お客さまが少ないことで有名です。
安心して、いらして下さい。10名程度から、30名程度ならば、どのコンサートも大丈夫です。
これも藤岡の遺志を継いで行うことです。
障害のある子供たちには、リハーサルを公開します。
ただ今、17曲が出来ています。
藤岡、未公開録音もあります。いずれ、一枚のCDに、まとめる予定でいます。
暫く、お待ちください。
なお藤岡の未公開録音のCDは、現段階で制作する予定はありません。
コンサート会場にて、お聴きください。
10月13日より16日まで、お休みになります。
チケット、出演希望のfaxは機能しています。
2001年2月より藤岡と立ち上げた、オフィスTWにより、素人の私がクラシックコンサートを開催するという暴挙に出て、藤岡がいた頃は、ケンカをしつつ、私の行動が制御されていまたしが、今は、まさに暴走しています。
思い起こせば、利益の出ないコンサートを開催してから、秋の夜の雨の音、そして月を眺めてゆったりと酒を飲むこともなくなりました。
救いは、私は自分の作ったものが一番美味しいので、それが今は唯一救いです。
部屋は、泥棒に入られた状態。
音楽史から美学、芸術哲学、はては演奏法等々、どうしてこんなことになったのかと不思議です。
この頃は、藤岡が、再び制御をかけてくれて少し、立ち止まっていますが、それでも以前のようではありません。
私は和芸で生きるはずだったのですが・・・
そして風情を生活にしてと・・・
藤岡が残した音楽に関する書籍も読破しようとしている、この根性が何なのかと、再び佇んでいます。矢張り、藤岡は、それも制御します。
木村さん、もういいんだよという声です。
しかし、どうしても私は、それを成したいと思います。
あと少しで人生も終わります。
20年生きて、精々でしょう。無為に生きたくない、ただそれだけです。
しかし、風情を忘れては、日本人としてすたれると、間合いの中にある、存在の確かさである、ゆらぎを感じたいと思っています。
しかし暴走は、免れないことのように思います。これは私の前世の因縁でしょう。
心の音楽会の締め切りは10月25日にします。
歌祭りは、11月15日にします。
詳細はホームページで。
なお来春に向けても募集します。
ピアノ祭り参加者も受け付けています。
ジャンルを問わない、また、民族音楽も受け付けています。
今月、27日の札幌公演のリハーサルの一部を障害のある子供たちに、pm4:15よりpm4:45まで開放します。
さっぽろこどもサポートの古川様等が、取りまとめをしていますが、当日、いらしても入場できるように致します。
子供が走る、騒ぐ等、心配せずにいらして下さい。
なお、連絡は事務所に直接くださっても結構です。
13日より16日までは九州公演のため、お休みになります。
来年、2月12日、月曜日、祝日。
アミュー立川小ホールにて「音楽は心にやさしいコンサート」を開催します。
夜の部、pm6:00開演のコンサートに、声楽、ピアノの出演者を募集します。
オーディションが必要です。オーディション料金は一万円です。
加費は、二万円。二千円のチケットを20枚差し上げます。
お問い合わせ下さい。
新人を歓迎します。
来年、2月22日木曜日、横浜関内小ホールにて、天山歌座を開催します。
声楽の出演募集をします。
オーディションが必要です。
オーディション料は一万円。
参加費は、三万円。2500円のチケットを20枚差し上げます。
多くを語ることはできませんが、昨日、私は藤岡と思念で話をしました。
私は、霊能者ではありません。
その死後の時から、今の状態まで知ることが出来ました。
いずれの機会に話します。
藤岡は即座に幽体を捨てましたので、幽霊になることはありませんでした。
ただ、藤岡が枕元に立つという妄想の人がいましたが、邪念による妄想であり、全く検討違いのものです。
心にやましいものがあったのでしょう。
思念交流をするとは、亡くなっても無くなっていないということです。
藤岡は、いつも私と共にいるといいます。
互いに感謝の思いで一杯になりました。
多くを書くと、書いている間に消される可能性がありますので、これ以上は書くことができません。
霊人との会話、及びその情報を公開する場合、禁止されることもあります。
私が藤岡と思念交流したことを、すべて書くことが、いけない場合は、書いても消されます。実は、何度かありました。
霊界通信なるものがありますが、低いレベルの霊界の場合は、特別に問題ありません。しかし、在る程度高い霊界の段階になると、その情報で、混乱させることを嫌います。ゆえに、消されることがあります。
藤岡と話している、ある方は、これは言ってはいけないと言われるそうです。
また、期限つきで公開してもいいとも。
まだ世の中は、霊的なものに対する不信感があります。
科学的ではないとの言葉もありますが、科学は、今の段階では、それ程の進化がないため、霊界の存在を証明し尽すことは無理でしょう。
未知なるものの存在は認めています。
私は、証明することが務めではありませんので、これ以上は、説得しません。
藤岡が私と一緒にいるということを誤解されている方がいますので、申し上げます。
私と一緒にいるいっても、霊体ですから、他の人、100人、1000人の人とも一緒にいられる訳です。
つまり次元が違います。物質界ではありません。純粋、思念の世界、想念の世界です。
この次元を超えていますから、一人は一人のみということはありません。
簡単に言うと、背後霊として在ると言ってもいいでしょう。
藤岡も、生前背後に、シューベルトや、マリアカラスが縁しました。
自分が弾いたことのない曲も指導できたのは、そういうことです。
背後に縁するほど、藤岡は、ある段階まで進んでいるということです。特に、宗教的毒素を受けなかったので、スムーズに霊界入りすることが出来ました。
これ以上の説明は避けます。
どうして、こんなにお客さまが・・・
長崎、福岡は、ほぼ満席。大分は2000名の大ホールですから、ある程度。
長崎は、作家、三田文学編集長加藤様がゲストにより、大変好評でした。
それにしても、私のたちの、新しいコンサートの形を受け入れてくださった皆様。
感謝です。
オペラアリア、日本歌曲、歌謡曲、童謡、朗詠、舞、ディジュルドゥー、ピアノソロ、イタリア歌曲と、古楽は、福岡の夜の部にありました。
初めての経験の方も、感動を。
これは、何か、音楽の垣根のない様を痛感しました。
これで、いいのだという思い。
何でもあればいいのかということではなく、それそれがプロなのです。
それが、皆様に伝わり、感動が涙となってあわられた方もいました。
私は、ますます音楽に垣根はないということを実感しました。
勿論、何でも、ごった煮のようにではなく、洗練された芸の粋というものがあります。
プロであればそこ、それが実現出来ると、意を強くしました。
皆様、ありがどうございました。
来年、6月19日火曜日、すみだトリフォニーホール小ホールにおいて開催する。
音楽は心にやさしいコンサートの出演者を募集します。
オーディションが必要です。
料金は、一万円。合格の場合の参加費は、三万円です。二千円のチケットを25枚差し上げます。
ピアノ、声楽等、ジャンルは問いません。
全国からの応募をお待ちしています。
ただ今、札幌、仙台、長崎、福岡、大分ですが、どんどん開催地を増やします。
来春、京都での公演も企画しています。
東北地方の方も歓迎します。
希望者が多くなりました。
一月より、今までの倍に増やします。
講師は、ソプラノ辻友子です。
申し込み順になりますので、早めの予約をお願いします。
ただ今、私のホームページの更新が遅れています。
一両日中に回復します
藤岡が亡くなって一年を過ぎる。
多くの中傷、誤解による噂も無くなった。しかし、言った者は忘れているだろうが、言われた私は忘れていない。
勿論、それの仇を取るつもりは毛頭無い。そんなことをしては地獄に落ちるだけである。しかし、私は言われたことを忘れていないということを言っておく。
物の見方考え方には、百人百様の様がある。私は、それを肯定する。
これが一番正しいなどとは言わない。
しかし、時にアホがいて、私は、他の考え方を認めない、心の闇があるという、心底のアホもいる。それが世の中であるから、放っておくが、いずれ私に逢うことになった時に、どうするのであろうかと思う。決して逢わないということはないのである。
いずれ、礼儀作法の無い者どもを名指してで書くことにするが、勿論、下々は、書かずともよい。世の中に影響力を持つアホに言う。
日本は素晴らしい国である。言論の自由がある。ただし、私は私の書いたものに、責任を負う。匿名などという卑怯な真似はしない。
ご期待ください。
いよいよ目にはさやかに見えねども既成の権威が喪失し始めている。
やはりオペラはイタリアです。といえば、日本のオペラは、どうなのかという話で、平気でそういうことを言う。猿芝居より劣るということを自らが認め始めているという不思議。それに気づくことなくである。
コンサートに行き、聴く価値があるものは何か。
何故コンサートに行くのかということになる。
時代はいつも危機に面している。いつまでも同じ状態はあり得ない。
新撰組がいなければ、明治維新は、もう少し早まったであろう。悪あがきになるのか否か。時代はいつも新しい。そして新しいものに、いつも抵抗する愚か者がいる。
歴史をもっと学ぶべきである。
指導しているのは、藤岡宣男です。そう、故人です。
信じられないでしょうね。でも、本当です。
歌も指導されている人もいますよ。
辻あやかの場合は、忍者さんと呼んでいる方が、付き添っています。勿論、才能があります。しかし、その方は、あくまでもお手伝いであるといいます。というのは、藤岡がコンタクトして、指導の様を指導するからです。
信じられないでしょうね。
信じる人は騙されますから、私も、これ以上は説明しません。
歌を指導されている方も、生前の藤岡の言葉通りに、練習しています。
ただし、私が、それを認めない場合は、そうではありません。
空想、妄想の人もいるからです。
霊的なことを知る人は少なく、また、霊的なことも、その段階があります。
ご病気の場合もあります。非常に鑑定が難しいことです。
宗教的な意味での霊的ではありません。宗教の霊界は、非常に低い段階にあります。
これ以上は、またあらぬ噂、私が宗教をやっている等々、色々詮索されますから、止めます。私は、霊能者ではありません。また妄想たくましい宗教家でもありません。
来年、五月、仙台、盛岡と開催します。
盛岡公演の出演者を募集します。
参加費25000円。2000円のチケットを25枚差し上げます。
お問い合わせ下さい。
2月12日月曜日、祝日、立川にて、音楽は心にやさしいコンサートを開催します。
夜の部の出演者を募集します。声楽、ピアノ等です。
また、3月3日、日曜日、原宿にて開催の、ピアノコンサート第5回目の出演者も合わせて募集します。
お問い合わせ下さい。
私のホームページの新沈黙を破るの音楽史が、単独に読めるようになります。
新しい音楽史のアプローチということで、管理人が決定しました。
ただいま、バロック期に入るところです。是非、一読下さい。素人の書くものですから、非常に理解しやすいと思います。
勿論、多くの文献から示唆を受けています。特に、藤岡宣男所有の書籍が主です。
まさか、音楽史を書くとは思いませんでした。余計な話も多く、飽きずに読めます。
ピアノ題5回は、3月4日日曜日の誤りです。
なお、藤岡宣男式発声法は、声を出すための体作りです。発声であるから、声を出すことであると勘違いしている方がいます。腹式呼吸ではありません。横隔膜による発声のあり様です。そして柔軟な体を作るということです。緊張している体からは、声が出ません。それで、いくら声を出す訓練をしても、響く声にはなりません。ただ歌って楽しみたい方は、そういう発声指導の元に行くべきです。
ピアノの音は、非常に野蛮な音であり、通常あれを引き続けるということは、人格破壊を招くことにもなりかねないと考えています。
あの民族にしての、あの楽器です。私の音楽史を参考にしてください。
あれほど許容範囲のない音を求めるピアノです。音には、許容範囲があって、音の素晴らしさがあると、考えています。ですから、ピアノを弾く、プロとして弾く場合に、心の許容範囲が必要だと思います。
ピアノ弾きの大半が、通常の神経でないことは、ピアノの曲を創作した人の生活、性格をみれば理解できます。
さて、辻あやかの指導ですが、今は、子供に指導することは許していますが、物理的に、教えることは出来ない状況です。自分のテーマのソロ練習の他に、事務所主催のコンサートの伴奏があり、来年は木村天山との日本の歌の伴奏をしなければなりません。
時間がありません。
どうしても、辻あやかに師事したいという場合は、オーディションを受けてもらいます。レッスンの時間も限られます。
ピアノは楽しみで弾いていることが理想です。あれは人間がマジになって取り組むものではありません。
例えば、10時間練習するなどの話を聞くと、狂っているとしか思えませんし、長く練習すればいいものでもないと思います。才能が無い場合は、即座に諦めるか、楽しみ、趣味で弾く程度が理想です。
日本人の感性を持っていれば、あれは別感性のものです。
私が嫌いなピアノを辻あやかが、私の好きな、好きになるであろうピアノの音にしてくれているので、かろうじて聴くことが出来るのです。
ピアノ演奏で感動しているというのは、音に対して根本から、ある狂いがあるのです。
それは、またいずれの時に。
私は、虫の音を長く聴いて楽しめますが、ピアノの音では長く楽しめません。しかし、欧米人は、虫の音を雑音として聞きます。この感性の違いです。
まだ出演希望を受け付けています。
ジャンルは問いません。お問い合わせ下さい。参加料金等は、ホームページの募集を参照してください。
来年の予定も続々と決定しています。順次お知らせします。
音楽は心にやさしいコンサートは全国展開になります。
私は藤岡に何も返すことが出来ませんから、本日、藤岡の遺志に添って、コンサート活動を続け、演奏のチャンスを多く作ることにより、音楽家を育てさせて頂かせたいと思います。
全国に音楽が心にやさしいものであることを訴えたいと思います。それはまた、一つの平和運動であると考えます。
藤岡宣男の霊位に、栄はえたまえ、守りたまえと申す。
昨日、藤岡命日祭395日に、ひとり舞台で歌いました。
練習は千回しても練習です。舞台で初めて本番になります。舞台を持つこと、舞台があることは、僥倖です。
今までは、藤岡の、そして人のために舞台を準備していましたが、今回自分の舞台は二度目です。藤岡を追体験するのみならず、私は芸が舞台で成長することを実感しています。舞台は、芸の最上の先生です。
本番のない練習は、単なる練習であり、それは自己満足に終わり、生成発展のないものです。舞台で、人の前に自分を晒して、批判を受けるという覚悟は、実に厳しい人生修行です。それを放棄した多くの芸もどきたちの気持ちが解ります。
益々私は、舞台で勝負することを確信しました。
前回より、お客様が倍に増えていました。しかし、このお客様の数に左右されることなく、私は進んで行きたいと思います。
今日が結縁の日、今日が神の恩寵の日、今日が悟りの日、今日が目覚めの日、そして今日が最後の日と思えば、今日を最高に生きるしかない。
世阿弥が初心忘するべからずと言う。それは、最初の日のことではない。今日の初心である。一年生の初心と二年生の初心は違うのである。
これを別の言葉にすると、発心であり、心を空しくして、ただその事に向かうという言葉になる。何も、説教をしているのではない。吾身に語りかけているのである。
我が思いひと筋となり、他に心を動かされない。つまり究極自己満足であろうか。
その自己満足が他を動かすことを芸というと考える。
あるところで、チンドン屋を始めた知り合いから、仕事がどんどん増えていると、ハガキがきた。それを復活させようと決心して、家庭を持ちながらも、始めた女性である。
私は、彼女に非常に期待し、興味を持つ。いずれ、彼女との話を書くことが出来ればと思う。するか、しないかは天地の差ほどある。
本日は札幌公演です。子供たちの前で歌います。命懸けで歌います。これが最後と歌います。本公演でも歌います。舞ます。これが最後と務めます。
子供たちに歌ったこと、感動しました。しかし藤岡の芸は子供たちを、ある次元に導く力がありましたが、私の場合は、一緒に歌う程度でした。ああ、矢張り、藤岡の芸は、見事であったと確信しました。あの格調の高さが、子供たちを・・・
本公演、大変でした。あれだけの長い時間を、お客様がと思うと・・・
二時間15分の公演でした。勿論、色々なジャンルの音楽あり、楽しめたと思いますが。私は舞と、自作の曲「祈り」を歌いました。
これからのコンサートのあり方を考えるコンサートでした。
音楽は心にやさしいコンサート、全国展開になります。
地元の音楽家と結び、開催します。
来年四月は、私の講話会を催します。藤岡の日本語の歌にみる美についてを語ります
来春より、年二回発行予定で、藤岡宣男研究と題した小雑誌を発行します。
後の研究者の先導をします。
藤岡の論文の掲載を始め、多くの方からの寄稿を頂きたいと考えています。
非常に貴重で重要な論文もあり、価値の高いものになります。
藤岡の歌を聴いた皆様からの投稿も歓迎します。
藤岡の部屋を引越ししている。驚いた。几帳面な藤岡は、すべてを整理して取ってあるのだ。幼稚園時代から大学、留学そして旅行等までの記録である。評伝や伝記作家にとって、こんなありがたい事は無い。
必ず藤岡は書かれる声楽家である。それは藤岡のように歌った者はいないからである。エッセイにて、色々書いているので省略するが、日本の「もののあわれ」を歌った声楽家はいない。どんな美しい声であろうが、藤岡には敵わない。私の思い過ごしと言う無かれ。もう少しすると、それが解る。
例えば、私にさえも日本語では敵わない。妄想と言うなかれ。誰も、やまと言葉で歌う者がいないからである。私の歌を聴けば解る。言葉が、日本語が明確である。それは祝詞を唱えるからである。やまと言葉とは、祝詞にある。
いずれ、エッセイに書く。
兎に角藤岡の残してくれたものに感謝する。特に、論文は貴重である。そしてメモ書きである。また学生時代から伴奏で出演したコンサートのすべての資料が残っていた。藤岡は、伴奏をしていたのである。そして名言である。ピアノとは一体になれなかったと。それでよし。ピアノは伴奏でよし。ソロを聴かせるピアノ弾きは、余程、心の器量がなければ無理である。今大半のピアノ弾きは、ピアノに弾かれている。ピアノを弾くだけの器量が無い。ほとんど、いかれている。
今は多くを語らないでおく。いずれ、書く。
知識が必要なら、いくらでも知識を持とう。しかし、知識では計り知れないものがある。それもいずれ書く。
小学生時代の天気観測のノートは、圧巻であった。
彼は、続けることの出来る人間であった。そういう人間は信じられる。幸運の時も、不運にある時も、同じ姿勢でいられる人、それを達人と言う。
クラシックに対する偏見が取れた。イメージが変わったとの感想が多く、この六年間で12回のコンサートの成果をみるようである。
身内の発表会に堕落しても、平気でコンサートを開催していた札幌のクラシックであるから、当然であろう。
演奏し、拍手されてお辞儀して、また演奏しての、繰り返し。それでも上出来ならいいが、そんなことはない。歌に歌われ、ピアノに弾かれてのコンサートである。
さて、音楽は心にやさしいコンサート全国版に発展させます。
来年の七月、京都が決まりました。また、四回目を迎える福岡は、六月、同じく大分。
九州は、長崎、佐賀、熊本、鹿児島も考えています。
東京にても開催します。コンサート情報を参照下さい。
また共に、出演者を募集します。