霊学28
大別して自己愛には、心理的な面と生理的な面との両面があります。
小此木啓吾
話しは、どんどんと、広がっていく。
フロイトは、自己愛が心身未分化な形で、満たされた状態の原型を、生まれたての赤ん坊に見出した。
これを、一次的自己愛と名づけた。
つまり生まれたばかりの赤ん坊というのは、まったく外界に関心がなく、自分の中で自給自足して、自分だけに引き籠っている状態にいるわけです。
小此木
赤ん坊が、満たされている状態のためには、生理的な欲求が、すべて、満たされている状態である。
大人の場合は、一次的自己愛に当る、生理的な自己愛状態は、睡眠状態だと言う。
ただし、昼間の、ストレスなどが残れば、安眠は、出来ない。ゆえに、一次的自己愛は、満たされない。それが、続くと、心理的に不安定になる。
だが、夢を見ることで、睡眠中に生じる、外界の刺激、自分の内部に生じる欲望や、不安などを、夢の中で、処理して、自己愛の状態を、守ろうとする。
小此木氏は、
眠る時は、完全な自己愛状態になれば、なるほど、よく眠れるという。
さて、フロイトは、人間の、自己愛をめぐる、苦悩、煩悩は、一次的自己愛の夢が、破れるところから、はじまると、言う。
自分が自分を愛するセルフ・ラブという意味での自己愛が成立するのは、自給自足的自己愛状態が破綻し、原始的な心理・生理的な自己からやがて自己愛の対象になる自己表象が、分化・発達することを通してです。
小此木
この、一次的自己愛の状態を、マーラーという学者は、自閉期と、呼ぶ。
自閉的である、自己愛の時期とは、深い意味あり。
それは、フロイトが、対象関係がはじまる以前の、自閉的な状態をモデルとして、最初に、自己愛を、考えたとする。
外界を認識しなかった赤ん坊がだんだん外界を認識するようになってくることと並行して、今度は外界に対する自分をどのように認識していくかが問題になってくるわけです。
小此木
それは、外界との、境界線である。
身体的な自分と、身体以外の、物体の区別である。
見る、聞く、触れるなどの外部知覚と身体の内部感覚が識別され、身体と渾然一体となった原始的な心理・生理的自己が経験されるようになります。しかし、この段階ではまだ統一的な自己表象が形成されるところまではいきません。
小此木
自己認識の対象を、自己表象と呼ぶ。
普通、自己意識といわれるものと、共通した、側面を持っている。
では、自己愛の対象となる、自己表象は、どのようにして、形成されるのか。
色々な学者の説があるが、共通しているのは、自己像、自己表象というものは、自分が自分を見たり、感じたりしているだけでは、中々、成立しないということである。
そこには、認識構造の、質的な転換があると、考える。
そこで、小此木氏は、ラカンという、学者の説を紹介する。
ラカンは、鏡像段階と言う。
それは、幼児期、生後六ヶ月から、一年半の間に、この段階を通過する。
こり時期に、他人の姿や、鏡に映る自分の姿を見て、その鏡像と、自分を、同一視することが、自己像を形成するというもの。
ここでは、とても、大切なことが、語られる。
幼児は、母親の心の中に抱かれている、自分に関する、イメージを感じ取って、自己像を作り出すというのである。
それ以前の、赤ん坊は、自分が統一されたものではない、未統合で、ばらばらの、心理状態が、続くという。
ということは、母親が、身ごもったときから、それが、始まっているということだ。
そして、名前をつけられた時点から、その子の、自分は何者かという、自己統一性、アイデンティティの、はじまりがあるということ。
フロイトが、人間の自己愛の問題とは、生まれてくる以前に、親の心の中で、はじまっていると、考えたことは、実に鋭い指摘だといえる。
小此木氏は、精神科医は、その患者が、どのような状況で、生まれてきたかを、診療の上で、大変に重視すると、言う。
夫と、どのような関係だったか。
妊娠中の気持ち。
産んだときに、どんな気持ちだったのか。
子供が生まれるときの、状況を詳しく、尋ねると、言う。
そこから、患者の、自己愛の起源を探る。
最も、それほど、精神科医が、真っ当に患者の話を聞くのかは、解らない。
溢れるばかりの、患者の多くに、そのようなカウンセリングが、出来るのか。
現実は、薬の処方箋を書くのが、関の山・・・かもしれない。
何せ、精神科医の、死因の第一は、自殺である。
私は、いつも、精神科医のための、診療による、ストレスを取り除く、方法が必要だと、思っている。
あるいは、彼らが、一番、悩み、苦しんでいるという、可能性が、高い。
フロイト自身が、そうだった。
精神科医になるということも、それは、自己愛の姿であるから、実に、難しいことである。
精神医学で、人間の、すべてを、解決し得ない問題もあるということを、言う。
これは、霊学の、入り口の、更に、入り口であるから、多角的に、それらを、俯瞰してみる。